こんにちは、とりかなです。
あまりに突然ですが、あなたは余命宣告されて明日が人生最後の日になってしまいました!

さて、どのように過ごしますか?
好きなものを食べまくる、趣味を楽しむ、家族と一緒に過ごす…
できる限り自分が死ぬ前に後悔の残らないような時間を過ごすのではないでしょうか。
さて、この質問をされてあなたはどう考えたでしょうか。
現実とはかけ離れた問題だと考えませんでしたか?
しかし、人生最後の日というのは100%やってきます。
そう、100%です。しかも、実際にはその日がいつ来るかわかりません。
でも、ほとんどの人は自分の死が近づくまでそれを意識しません。
もしくは、そのタイムリミットから目をそらし続けます。
人生最後の日に「今日と同じ」生活をして満足できますか?
人生最後の日でも満足できるような毎日を過ごしましょう。
できる範囲で少しづつ改善
「家庭や仕事もあるし毎日なんてそんなの無理に決まってんだろ!」

という方もいらっしゃると思います。僕もそうなります。
でも、その理想に近づける努力や工夫をすることは可能です。
僕もさまざまな工夫をしていますが、わかりやすいものを挙げると
・フリーで仕事を受けて好きな時間に仕事をしている
・自分が充実感を得られる仕事を優先して受ける
・自分のための時間を多くとるために無駄な出費、贅沢をしない
等を実践しています。
これらは以前フルタイムで働いていた時に、
「苦痛だと感じる仕事に毎日半分以上の時間を使うのは自分には無理だ」

と実感したからです。
実際その期間は、どんどん気分が落ち込んでいっていました。
言ってしまえばワガママですが、このワガママを通すために必要な前述したような努力は一生続けます。
これが僕なりの「人生最後の日に満足できる生活」のための努力です。
必要な努力は人それぞれですが、
・余計な出費をやめる
・予定を減らして、自分の趣味に充てる時間を増やす
・休日を自分の満足いくように過ごす工夫する
など、自分にできる範囲でできることを探してみると意外とみつかるはずです。
セネカ『生の短さについて』
今日は古代ローマの政治家であり哲学者のセネカの著作、『生の短さについて 他二篇』より、生きることについて考えさせられる言葉を紹介します。

それゆえ、誰かが白髪であるからといって、あるいは顔に皺があるからといって、その人が長生きしたと考える理由はない。彼は長く生きたのではなく、長くいただけのことなのだ。
セネカ(著)、大西英文(訳)『生の短さについて 他二篇』 岩波文庫 p,29
(太字・下線は引用者による)
実際、どうであろう、港から出た途端に嵐に遭い、あちこち翻弄された挙句、吹きすさぶ風が四方八方から代わる代わる吹きつけて、円を描くように同じところをぐるぐる弄ばれ続けた者が長い航海をしたなどと考えられようか。むろん、彼は長いあいだ航海したのではなく、長いあいだ翻弄されたにすぎないのである。
セネカ(著)、大西英文(訳)『生の短さについて 他二篇』 岩波文庫 p,29
(太字・下線は引用者による)
【書籍紹介】
古代ローマの政治家かつ哲学者として生きたセネカによる著作です。『心の平静について』『幸福な生について』を含む全三篇。ローマ激動の時代を公人としても生きたセネカの人生哲学が詰まっています。特筆すべきは、話の中ででてくるたとえのわかりやすさです。セネカは約2000年前の世界を生きたわけですが、現代を生きる私たちにもすんなり理解できるようなたとえをしてくれます。生き方や精神的な面が社会問題になりがちな現代を生きる私たちには、セネカの言葉が鋭く刺さります。
引用箇所の直前では、古代ローマで公職についていた人々も
「はやく自分のための時間、休暇がほしい」

と言っていたことが紹介されています。(※画像はイメージです)
ローマ皇帝、アウグストゥスも述べているように自分のために生きる自由はこの上なく貴重なものなのです。
下記リンクの記事でアウグストゥスの言葉を紹介しています。

幸い、現代日本ではほとんどの人々が自分の人生を自由に選択することができます。
道を選ぶためには相応の努力や挑戦は必要となりますが、古代や中世に見られるような生まれによって一生が決まる、といったことはほとんどありません。
といっても、急に転職するとか仕事を辞めるとかは現実には難しい場合も多いです。
急にすべてを変えなくても、この記事で記したマインドを持って生きていけば少しづつ環境が変わっていくはずです。
まずは、自分のできるところから。
やりたいことができたとき、「人生の時間が足りない…」となる可能性を限りなく下げるためにも、今から自分の満足できる生活を作り上げていきましょう。
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