その「答え」は本当に「答え」なのか【探究心を忘れない】

こんにちは、とりかなです。

みなさんは、何かを教わることは好きですか?授業でも、日常会話でもなんでも大丈夫です。
「途中で飽きてしまう」「自分の意見を言いたくなってしまう」
など、素直に教わる姿勢でいられないということはだれしも経験があると思います。

僕は昔から、答えのあることを教えてもらうということに苦手意識がありました。

しかし、教えてもらう中で探究心を失わないことが大切だと気が付きました。

目次

教わることが苦手だった理由

一番大きな理由は、答えを示されると自分で答えを探究する楽しみがないと考えていたことです。
答えを教えてもらったら、それが終着点だと思っていたんです。

高校までの授業では、授業で教えられたことは絶対的な答えだという認識があると思います。
実際、試験で聞かれる内容も決まった答えを求める内容が多いので、そう考えるのも当然です。

しかし、それは本当に「答え」なのでしょうか。
それ以上追求する余地はないのでしょうか。



そんなわけはなく、学校で教えてもらったことのほとんどは通説にすぎません。
実際に、僕が教わった年号と今の教科書の年号が変わっている、ということもありました。
その通説をさらに追求できるのが大学という場だと思います。



僕は高校までの勉強が好きではなく、めんどくさいと思っていました。
興味のないことを機械的に教えられている感覚だったため、つまらなくても仕方ないと今でも思います。

しかし、大学での学びはこの上なく楽しいものでした。
自分の興味のある分野を、好きなだけ探究することができたからです。

学んでも学んでも答えはでないし、学ぶほど興味のある分野が広がり自分の世界も広がっていく感覚でした。

そもそもこの世界に、絶対的に確かな答えがあることなんてほとんどないはずです。
自分で探究しているときには、教わるときには得られないよろこびを感じます。

探究心を持ち続ける

今は、インターネットを使えばすぐに答えが手に入る時代です。
しかし、その答えは本当に正しいものでしょうか。

すんなりと受け入れていいものなのでしょうか。
情報にあふれる現代だからこそ、教えてもらったことや調べたことについての探究心を忘れず、自分なりの「答え」を探し出すことが重要です。

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この記事を書いた人

文筆家・ナレーター。大好きな本や言葉で培った感性を活かし、独自の視点で創作を行っている。読書を仕事にすることを夢見て日々奮闘中。

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