こんにちは、とりかなです。
今日は、エッセイ形式での記事に挑戦しようと思います。
今回は「飲み会や食事会の楽しさ」というテーマに関して僕の考えを書いていこうと思います。
正しくは、飲み会や食事会で語ることの楽しさと言えるかもしれません。
先日、高校時代の友人と食事をしてきました。
近況を話したり、思い出話に花を咲かせたりと、とても楽しい時間でした。

今では食事会が大好きな僕ですが、幼少期は全く好きではありませんでした。
家族での食事会もそうですし、家族ぐるみの付き合いのご近所さんの食卓にご一緒させていただいたときも同様でした。
そのときの心境は
「話聞くのつまんない、はやくゲームしたい」

それしか記憶にありません。
正直、大人がお酒を飲みながら話している光景を見て、
「そんな長い時間しゃべって何が楽しいんだろう」

と考えていました。
しかし、大人になった今、飲んだり食べたりしながら話をすることは僕にとって人生の楽しみの一つです。
友人はもちろんのこと、立食パーティー等で初対面の方と話をすることもとても楽しくなりました。
その一番の要因は、人は年齢を重ねるにつれて経験が蓄積されていくからだと感じています。
幼少期の僕には経験がほとんどなかったので、大人の話を聞くことは自分には無関係な話に聞こえたんです。
しかし、現在は自分にも経験が蓄積し、社会人という枠組みで同じフィールドに立つ人からどんな経験をしてきたのか聞きたくなったんです。
自分が経験を積み重ねたからこそ、他の人の経験も身に染みて理解できるようになったんだと思います。
人はだれしも世界に一つしかない自分だけの歴史を持っています。
歳を重ねるにつれて、その経験の歴史は多様なものになってきます。

そんな経験を知り、語り合うことでより深くその人の人格を理解できます。
飲み会や食事会の場は、お互いの理解を深めるための貴重な機会なのです。
普段なんとなく行っている食事ですが、食事の時間は人と人との心の距離が大きく近づく特別な時間です。
誰かと食事ができることは貴重な機会で、幸せなことだということを意識すると、いつもの食卓が少し変わって映るはずです。
とりかなの雑談

今回は普段と違う形式で記事を書いてみました。
日常の中で考えたことを書いていくときは、このような形式で書いたほうがリアリティがでるのではないかと思い、試験的にやってみています。
しかし、随筆やエッセイの書き方に関しては全くの初心者なので、とても難しい。
言葉選び、文量、内容、わからないことだらけですが、少しづつ勉強してみます。
当面は、文章の形式に応じて、「文章の中での自分の存在感」をコントロールすることを目標にがんばります。
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