【エッセイ】経験は宝物

こんにちは、とりかなです。
今日は、エッセイを書きます。

先日、久しぶりに映画鑑賞をしてきました。
その中で、とある俳優さんの鬼気迫る演技を観て、僕は魂を揺さぶられるような衝撃を受けました。


◇◇◇

僕は高校生の頃、演技の道を志していたことがあり、稽古に参加させてもらっていた時期がありました。
本気でこの道に進もうと思って入門したこともあり、当時の僕は自分の演技にそれなりに自信を持っていたんです。

どこから湧いてたんだその自信は、と言ってやりたくなりますが。
「このまま稽古を頑張ってれば順調にステップアップできるんじゃないか?」
「この道で頑張れそうなら演技や芸術について学べる学校に進学しようかな」
そんなことを考えていました。

そんな自信を打ち砕かれる日は突然やってきました。

◇◇◇

ある日、次の舞台の題材となる台本が渡されました。
それは、戦争を題材にした作品でした。

僕は、いつも通り台本を持ち帰りました。
無意識でセリフが口から出てくるまで台本を読みこみ、声の抑揚のつけ方も完璧、身振り手振りも考え抜き、僕なりの「上手い演技」をするための準備は万全でした。

次の稽古日、僕はほとんどミスなくセリフを完読し、感情もうまく表現し、考えておいた動作もそつなくこなしました。
しかしその直後、あるご年配の団員の方の演技をみて、僕は演技の道に進むことを諦めることになります。

◇◇◇

その方は芝居歴も浅く、まだ慣れているという感じではありませんでした。
演技の中ではセリフの間違いも多く、動作もその場で考えたような感じで、僕の考えていた「上手い演技」ではなかったように見えました。

しかし、僕はこの方の演技に「生々しさ」をみました。
自らの経験を語るような重々しい言葉の発しかた、自らの気持ちを表現した動作、自然と目からあふれている涙。
まるで登場人物の魂が団員の方に乗り移ったかのような光景でした。

周囲の人もその演技を目だけでなく、心で感じているようでした。
それは間違いなく見る者の心を動かす演技だったのです。


そこで感じたのは技術でも、練習量でもなく、圧倒的な人生経験の差でした。
演技が終わった後、直接お話を伺ったのを覚えています。

「今日の演技、素晴らしかったです!どんな意識で演じたんですか?」
「ありがとう!そうだねえ、私は戦争を経験したわけじゃないんだけど、きっと○○くんよりも上の世代に直接話を聞くことが多かったし、戦争に関する作品にも多く触れてきたからね。いつのまにか心が役に入っていったのかもね。」


当時、演技は「演技の稽古」をすれば成長すると考えていた自分にとって目から鱗が落ちるようでした。






僕はこの演技をみて、


「今の自分にはできない」



と確信しました。


◇◇◇

そのとき学んだのは、自らの経験や思考の先に生まれた表現や作品は、迫力や説得力、深みが段違いだということです。
高校生になるまでのうのうと生きてきた僕は、経験も思考も全く足りていないことを自覚しました。

僕が心の底から芝居を愛していたり、才能に恵まれていたりしたら、カバーできた部分なのかもしれません。
しかし、僕にはそこまでの熱量はなかったようで、様々な経験をすることが最優先事項のように思えたのです。

それまで、指導された内容やテクニックを磨けばいい演技ができるようになると考えていた僕でしたが、それだけでは近いうちに成長の限界が来ることを予感してしまったのです。


◇◇◇

それから先の人生は、どんどん新しい経験や価値観に触れていこうという意識を強く持ってここまで生きてきました。
経験や価値観に触れていく中で、やりたいことも変わっていったし、少なからず内面も変わりました。

そんな人生のとある一日に、この記事を書いています。

自分の体験をリアルに伝えられているか?
経験をくみ取ってもらえるような文章を書けているか?
あの団員さんのような心を動かすことのできる表現ができているか?

学べば学ぶほど自分の未熟さを自覚し、理想は遠のいていくばかりですが、理想を追い続けることでたどり着ける場所があると信じて今日も学びます。

鳥海かなと(Twitter @knt_toriumi)


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この記事を書いた人

文筆家・ナレーター。大好きな本や言葉で培った感性を活かし、独自の視点で創作を行っている。読書を仕事にすることを夢見て日々奮闘中。

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